人との出会いを大切に

(これまでのあらすじ)社長・松本祐は、昭和24年佐世保生まれ。八百屋やバーテンダー、薬局店長など接客に楽しさを見出し腕を磨いた後、住宅会社に転職してトップ営業マンとなる。が、誠意のない営業最優先のやり方に嫌気が差し、「お客様に満足していただける工務店」「行列のできる工務店」を目指して、昭和57年近代ホーム(株)を創業する。憧れの地・港南台への移転を果たし、施工実例もオープン。バブル崩壊も無事乗り切った頃、父の死という転機を迎え、「百年健康住宅」への道を歩み始める。

 バブル末期に、佐世保の父は66歳で命を落とした。丈夫だった親父が突然いなくなり、私はうろたえた。これまで頑張ってきた原動力の源は、親父への強い対抗心だった。
 当時、親父は確かに小さな成功を収めていたが、しょせん先祖代々の資産あってこそ。一方、俺は知らない土地で裸一貫から創業した。以前親父に言われた“10年早かった”という言葉が本当かどうか、今に見ていろ!・・・メラメラと燃える思いがあった。賃貸マンションをたくさん造ったり、早々に自宅を無理して建てたのも、親父に対する意地に後押しされたと思う。
 親父と息子はどうも、永遠のライバルのようである。

 今まさに、そのつっかい棒が外れた・・・。親父を追い越すことばかり考えていたので、突然の死で事業の目的さえわからなくなってしまった。また、ライバルとはいえ血の通った親子だ。冷たい仕打ちに恨んだこともあったが、亡き父を思う悲しみは深く大きかった。これが、親父という存在なのだろうか。生きている間はうるさいと嫌われるが、失って初めてその優しさに気づくのかもしれない。
 どんな立派な家に住み金に恵まれていても、命あってこそ。親父の死がきっかけで、私は人生というものを見つめるようになった。
 人生100年、100歳まで生きるためには・・・というような、健康、長寿命、健康法、養生訓、天風哲学など『人の生き死に』に非常に興味を持つようになった。
 そして、独自にやってきた瞑想や呼吸法に更に本格的に取り組むようになった。その修行は、日本各地の道場や研修所にとどまらず、中国・上海へ飛び中国医学、気功、整体などの研究に足掛け5年を費やした。帰国後の3年間は、中国の恩師、渓 播良老師という気功の達人を招聘して指導を受け、道場まで開き、すっかりのめり込んでいった。

ちょうど長年の夢をかなえて、横浜港南台の駅の近くに本社屋『ハウジングステーション』をオープンした頃、材木店のキリガヤの専務(当時。現社長)だった、桐ヶ谷覚氏と知り合った。
そのご縁で、「わが国の健康住宅の第一人者」と言われる須貝 高教授と出会ったのである。(編集注・2003夏の住まい塾講師の先生です)
 須貝先生の話は衝撃的でした。
「足元を暖かくするような住まいを造れば、脳卒中などで倒れることがぐっと減り長生きできる!」
 私が求めていたものは、これだ!
心の中にぼんやりと存在していた人生の目標が急にはっきり姿を現してきた。親父のこともあり、ピンと来るものがあった。
 来し方を振り返り、妙に納得した。点が線につながった感じがした。住宅業界を選んだのも、若い頃、薬局に勤めたのも、健康法や気功などに夢中になったのも、すべては“百年健康住宅への道”を歩むためだったと気づかされた。“百年健康住宅”はこうして誕生の時を迎えたのです。

 それからは、須貝理論を実践するために全国各地へ視察に行き、工法などの研究に励んだ。アメリカやカナダにもどんどん研修に行った。
 そして、最後に行き着いたのが、北海道のビルダーが特許を持っていた「FP工法」。当時の常識を超えたすばらしい工法でした。

 縁とは不思議なもの。
 FP工法との出会いは、鮮烈でした。
 桐ケ谷さんから、とにかくいい話だから一緒に聞きに行こうよ、と半ば強制的に連れていかれた「高気密・高断熱住宅」研修ツアーが大きな転機となりました。
 土屋ホームの「グラスウール高断熱・高気密」、アサヒ住宅「エアーサイクル」、宇部興産「パネル式高気密・高断熱」等10社近くの北方型住宅を3日間かけて見て回った。各社それぞれの特徴や工夫が見られ見られ、感心する点もあったが、「自社に取り入れたい」と思うほどのものには出会えなかった。正直なところ、聞きしに勝る「北方型住宅」の実態はこの程度か・・・と少しがっかりしたくらいだ。

 こう言うと北海道の職人さんたちから叱られそうだが、昔から“北海道大工”は手が粗いというのが、我々の常識でした。現場を見ると、こちらではとても許されないような施工の粗さが目立つ。
 寒冷地では“暖かさ”が何より大切だから、多少の施工の粗雑さには目をつぶる傾向があるのかもしれない。が、私たちはむしろ、これまでずっと“匠の技”にこだわってきたので、どうしてもその粗さが受け容れられない。
 桐ヶ谷さんに「オレ、もう帰るよ!どうもうちには合わないようだから」と言うと、「社長、ちょっと待ってよ!明日訪ねる松建のFP工法が実は本命なのだから、それだけは見て帰ってよ」と。
 どうせこれまで見た会社と大差ないだろうと期待半分で、翌日、札幌から1時間半ほど車に揺られて、やっと着いた。

(松本 祐)